まっきーのニッキー

主に自分宛の毒を吐きます。

読了への険しさ

【遊戯王】ノーマル)魔法◇ブラック・ガーデン プレイ用

読了をご存知か?

どくりょう【読了】
《名・ス他》すっかり読み終わること。

↑これ、クソです。

年間何冊読んだとか、くだらない物差しです。そんなものは、読書が好きだと言うために使う物差しではねぇのです。ただ家の本棚が大きいことを自慢しているだけです。バカです。どうせ実家の本棚です。小学校に上がった時にあてがわれた部屋にある、あの頃は大きく見えた、今となっては社会の枠からはみ出したことの象徴とも言えるような本棚です。ただの呪いです。

ごめんなさい。言い過ぎました。すごいです。眩しいです。それがあなた達の読書ならば思う存分読み終わっていただいて結構です。

私は本を読むのが苦手で、読んでいるとだんだんと目線が同じ行をツルツルと滑るようになります。つまりページを捲る手が膝に置かれていようと全く問題はなくて、そのうち瞼が、こっちの方が楽しいぞと誘うように、スーッと降りてきます。おやすみなさい。

そういった読書を繰り返していたら、そのうちに読書というのが、だんだんと読了を目指すものに変わってきました。当然、実際本を読み終わると、あー読み終わった。とひとつスッキリします。何が楽しいのか。これでは毎朝のおしっこと同義です。

勿論、全部が全部、頑張って読んでいるわけではないです。多くの本には私の目線を急かすような文章が、その行に釘付けにするような文章が、一行で私の身体を本の中に引き摺り込む文章が踊っています。

ただ中にはそうではない本があるってだけです。そういった本の読了を、ストレスを抱えながら目指しちまってるってだけです。冒頭に述べたような殊勝な読書家達は、言ってみれば私のようなしがない本読みにとっては目標のようなものです。あなた達は読書を途中で辞めますか?辞めないでしょう。

もうこの本読むの辞めさせてください。

勝手にしろと言うでしょうが、辞めさせてください。その上で、私のようなしがない本読みにも、読書家への門戸を開けておいてください。

例えばですが、東野圭吾の沈黙のパレードを読んでいます。ミステリです。

これが好きではありません。ガリレオは劇場版の容疑者Xの献身しか知らないのですが、私の中の湯川教授は福山雅治で、あの顔と、あの声で話しています。つまりガリレオシリーズは映像として認識していて、読書体験を面白いとは思えないので、早く読むの辞めてぇな。と思っています。半分ちょっと読んで、これから解決に向かいそうな空気が感じられますが、早く読むの辞めてぇです。

例えば、ドグラマグラの下を読んでいます。奇書です。

下になると偉大な先生が、人々に精神病院のお粗末さを伝えるための口上が延々と書かれるのですが、普通につまんないから読むの辞めてぇな。と思っています。つまんないという言葉で包含してしまうと、私の読書という努力が私に召されるので追記しておきます。読みにくいわりに話が全く進まず、私の努力を嘲笑うとことをつまんねぇと書きました。

話も進まないし、終わりが見えないことは救いですがつまんねぇので読むの辞めてぇです。

読書家たちはガリレオシリーズもドグラマグラも好きだと思います。

年間何冊も読むことを辞めますが、私は本が好きです。読書が好きです。

読了だけで読書家気取らないでください。ボケどもが。

 

ps:年間で50冊も本読まないやつは、同調しないでください。見識が浅すぎるので😓