【注意】最初に言っておきますが、このブログは僕のブログの中では常軌を逸しているほど、長いブログとなっていますので、BGMを聴きながらお楽しみください。聴きたくないというそこのあなたにお願いです。このブログを最後まで読んでほしいので、聴いてください。
以下BGMと本文。
月曜の話です。友人から本を貰いました。私も本をあげたので、交換したことになります。とはいえ貰った本はいちいちつまらない極論の例え話を挟むせいで、文章のテンポが悪くて、まるでこのブログのようでした。いや、このブログのほうがマシです。教師気取りで、当たり前のことをつらつらと書いて、当たり前のことをご教授くださって、本当にありがとうございました。よろしければ今、このブログを読んでいるような、時間のある方は読んでみてください。
ただ酷評から入りましたが、私は本を書ける人を尊敬してます。素晴らしいと思っています。面白い、面白くないというのは、作品の上にある価値観なので、こういったブログを書けていることも、全て作者先生の技量の上で成り立っていることだと思っています。酷評をお許しください。先生、あなたのことは好きです。あなたの著書は嫌いです。お許しください。
私は今年で28になりましたが、まだうまく友達と付き合うことができません。きっと中学、高校で部活をやっていなかったからだと思ってます。中学、高校で人生を変えるような、そんな趣味と出会えなかったばっかりに、28になっても、うまい友達付き合いというのができないのだと思います。それだけならまだしも、いや、友達付き合いは大事ですが、自分のことも愛さないでいます。私が愛することができるのは妻だけであって、そこに縋り付くような価値観で生きています。卑屈なわけではありません。自分を肯定できるような、素敵なものを持ち合わせていないだけです。自分の価値を担保するために、足繁く献血に通うような男です。自分の価値を担保するために、目の前の人間の不幸を願うような男です。そうすれば私がその人を助けてあげるのにと思っています。そんなことをしなくても、自分に価値があると盲信できる人達が、憎くて仕方がない男です。
茅ヶ崎駅北口ではいつも、日本の平和を訴える左寄りの人達が駅前で突っ立っています。私はいつもそれらを傍目に自宅へと歩くわけです。ただその日だけはいつもと違いました。とはいえこれは私が、普段から人の不幸を願って周りを見渡す癖があったから、気づけたのかも知れませんが、とにかくその左寄りの人達の先に、学生服を着た面々が見えたわけです。
「歳末助け合い募金」などという訳のわからない、何に使われるのかもわからない文言を掲げながら、寒い真冬の夕方の外で、これみよがしに学生服を着て、募金を訴えている彼らに気づいた私は「しめた。チャンスだ。」と思いました。私は自分の価値を保証するチャンスだと考えました。しかも偶然ですが、その時ポケットには、妻と外食した際に、割り勘で受け取った600円が入っていたのです。500円玉と100円玉が入っていました。私はポケットに手を伸ばし、小銭を掴みました。
私は駅構内にいました。ポケットで触った感触でわかりました。「これ500円玉だ。」と気づいたために、気づいた瞬間に、すごく口惜しく感じてしまって、私は募金をせずに、駅構内にいました。その学生達の前に立ち止まり、100円玉をポケットの中で探すことはできませんでした。なぜなら、学生達がポケットの中の500円玉に気づいてまったら、私の価値を担保するための募金という行為が、一切意味のないものになってしまうからでした。私は意味もないのに、100円をその学生共に譲るつもりは、一切ありませんでした。
私は募金をしました。駅構内で500円玉を100円玉に持ち替えて募金をしました。一度彼らの前を通り過ぎてから、再度戻って募金をしました。きっと学生共は「なぜ戻ってきたのだこいつは」と勘繰ったはずです。それだけで済めばいいですが、「さては一度金を惜しんだが、少額を渡したな?」と気づかれたかも知れません。私が駅構内でポケットを掻き回していたところを見られていたなら、可能性はあります。もっと駅の奥深く、なんなら改札を通った後に掻き回すべきでした。自らの短絡的な行動に反吐が出る思いです。
なぜ私は、今辛いのでしょうか。
なぜ私は、今自分の価値を肯定できないのでしょうか。
なぜ私は、500円玉を募金できなかったのでしょうか。
私はこの時、誰かにこの思いを聞いてほしくてたまりませんでした。ただ僕の周りの人たちは、自分の価値を元から堅持してるような人たちですので、「募金するだけ偉い」といったノータリンらしい他人を踏み躙るようなことを言い放つ気がして、私はそれが恐ろしくて、そう言い放てば私は、その人たちをもう二度と同じ人間として見れなくなってしまうので、botかAIとして見ることになるので、誰にも相談できないでいました。数少ない友達を失うことが怖かったのです。
後日、素晴らしいアイディアを思いつきました。人の話を聞くことが仕事の彼女らに言えばいいのです。そして否定してきたのなら、その感性の貧困さを大げさに嘆いてやればいいと思いました。私は飲み屋に行って、この辛い体験を話しました。
「それって、500円という価値ではなくて、500円玉という利便性が根底にあったのでは?」
言葉が出ませんでした。信じられませんが、これは私よりもずっと年下の女の子の言葉です。
実際にそうだったかは分かりませんが、彼女が僕に思いもよらない慰めをくれたように思いました。私は「あなたは教祖になれる。」だとか「思いつかなかった。」というような、あまりにも浅い感想しか伝えられませんでしたが、酔い潰れて何も覚えていないその日の、その声だけは今も覚えています。たしかに言われました。そうだとか納得したわけではありません。
悲しんでいる人の意見を全く、1ミリも否定せずに、根っこから救えるような発想に、ただ教祖という存在を思い浮かべたわけです。
長くなりましたが、明日も生きようと思っています。