まっきーのニッキー

主に自分宛の毒を吐きます。

下書き供養ブログ(2020.6.25)

 

ブログの更新が短歌と読書の感想とそのとき思いついたことの3つだと、このブログの本来の意義である自分の考えていたことを残すという大事な部分を補填できない。俺の文章力も向上しない。

日常のブログでメリハリをつけれたらと思って日々ブログを書いていきます。

 

 

日常の話でメリハリをつけるのは難しい。

何もない日は時系列で書きたくなるし、そもそも生きててメリハリを感じることは殆ど無い。

何より普段からネガティブだから、日常のことを話そうとするとどうしても暗い文章になってしまう。

 

朝、通勤のために電車に乗ること。その車内ではマスクをつけた人がじっと窓の外を見ていたり、手のひらのスマートフォンを見ていたり、もしくはその瞳を閉じていたりで、そこにメリハリはない。

日中の仕事はほぼほぼルーティンワークで特別なことはひとつもない。本人確認、着替えの案内、撮影、その後の案内。それさえできるなら誰だってこの仕事はできる。それ以上のことを覚えても給料は変わらないし、この仕事と仕事以外の時間を共にしようとは思わない。

夜はトレーニングをしてシャワーを浴びて寝る。たまに晩ご飯を食べない時もある。野球をつけてることもあるし、ずっとパズドラをすることもある。ため息と一緒に明日の仕事を考えている時間もある。

 

 

こう考えているとやっぱり日常とはマイナスに振れていて当然のような気がする。きっと朝の電車で隣になる彼らも、友達と遊んで日常から離れたり、好きな人と過ごしたり、うまくリフレッシュしてるのだろう。上司の言うメリハリのある生活とはそういうことを言ってるのだと思う。

 

 

 

俺は違う。俺は誰と話すかでメリハリをつける。

自分と話すか、友達と話すか、彼女と話すか、上司と話すか。

自分と話せない人間になると同じことしか話せない人間になるだろうし、友達と話せない人間になるとTwitterに落ちてる言葉で簡単に心は埋まってしまうだろう。

 

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この頃の俺はまだクライミングもやってなくて、引っ越したばかりで友達もできなくてかなり落ちてた頃だね。このスタイルも嫌いじゃないけど、少し心を削りすぎてるよ。1年前の俺にはこのブログですら心の支えだったんだね。