通勤の電車。これから仕事。
電車は満員。超満員。
えいやえいやと人を押しのけることに抵抗がなくなってから幾星霜。ちょうど僕がもう1人乗れるくらいのスペースが空く。ちょっと押しのけすぎた。
乗ってきたのは恐らくこの湘南のどこかの高校に通っている女の子。Bluetoothの黒いイヤホンには赤いラインが引いてあって、小型とは言えないそのイヤホンからは右と左を繋ぐコードが生えている。
それなりの勢いで乗ってきた女の子を待っていたかのように電車のドアが閉まった。それと同時に女の子の鞄についていたキーホルダーが根元のチェーンごとドアに挟まれた。
きっとそのときの女の子の焦りとか、そういったことに気づいたのは僕だけだったと思う。背中で周りを押しのけた僕と女の子は、他の客とは背中合わせのような立ち方をしていた。
女の子に見えないように、手に持っていたスマートフォンで検索をする。
「電車 キーホルダー 挟まれた」
しかしそこには非常停止ボタンを押したりとかそういった策が書いてあるだけだった。見知らぬ男の手で自分のキーホルダーのために非常停止ボタンを押される恐怖を考えて、検索をやめた。僕もたかがキーホルダーのために遅刻をするのは嫌だ。
隣の駅に着くと、後ろの客がどっと降りていくのを背中で感じた。隣の女の子は焦っている。
どこで降りるのかと聞いたら、この駅だと言う。
無理やり引っ張ったのか、元から取れやすかったのかは知らないが既にキーホルダーは千切れて鞄は自由に揺れている。
名残惜しそうに降りようとする女の子を思わず呼び止めた。
「いらないんですか?」
「いや、でも、もう降ります。…」
その女の子はキーホルダーを最後に一度見て、ホームに降りていった。僕はさっきまでと同じ場所に立ち、もう彼女のものではなくなったキーホルダーを見ていた。テーマパークのキャラクターのキーホルダーだった。
………。
いらないわけ…
ねェだろッッッ!!!
なんで、あんなことを言ってしまったんだろう。
どう見てもいらないものではない。というかいらないものはカバンにはつけない。
彼女は一度諦めて電車を降りようとしていた。
それを僕はわざわざ呼び止めて、いらないの?と聞いてしまった。何か声をかけずにはいられなかっただけで、深い意味はなかった。
でもその問いかけのせいで彼女にはもう一度、自分の言葉で、そのキーホルダーを捨てるという選択をさせてしまった。
ついてなかったねと言ってやれば良かった。
諦めるしかないと言って彼女の罪悪感を多少なりと被れば良かった。
声をかけなければ良かった。