まっきーのニッキー

主に自分宛の毒を吐きます。

恥をかきました。回顧。

神なんていません。

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私は神を信じていません。私は熱心な宗教家を馬鹿にしています。熱心でなくても馬鹿にしています。友人との会話でも、宗教の匂いを嗅ぎ取ると、「こいつは馬鹿でどうしようもないから、今すぐに不幸になってくれないかなぁ。」と考えています。気を悪くした方がいましたら大変申し訳ありません。あなたは馬鹿です。神なんていません。

私は初詣なぞしません。たまに神社には行きますが散歩の一環です。そこに日本人らしい信仰心なんてものはありません。その証拠に、酔っ払った時などは酔い覚ましに鳥居を潜っております。そしてフラフラしながら階段を登り、二礼二拍手なんてせずに、ただ金を賽銭箱にぶん投げて得意になっています。その得意になった時間の礼として、去り際に手を合わせるのみです。対等な立場としての礼儀は果たしますが、それは神だからとか、バチがあたるとかではないことを分かっていただけると助かります。分からない人は馬鹿です。

年始を両親兄弟と過ごすというイベントが、今年も開催されました。去年の正月は彼女であった人が、今年は妻として、一緒に年を越せたことを嬉しく思っています。ホテルが去年は銀座だったのに両国に変更されるなど、大なり小なりデチューンはありましたが開催されました。おそらく来年の正月は町田か藤沢です。他意はありません。

1月2日の出来事でございます。今年初めての恥をかきました。初○○というのはこの時期によく耳にしますが、初恥というのはあまり耳にしません。する。しない。サ行変格活用。一応付け加えますが、神を信じていないどころか、信じている人を馬鹿にしているような言動をするのは、今年の抱負とかそういうものではなく、いつもの生活の中でも行われています。一応付け足しますが、信じていない人たちのことも、何らかの難癖をつけて馬鹿にしています。

とどのつまり、私は神を信じていないことを矜持としていました。

話を戻します。せっかく都内に出ているのだから、大きな神社でも行って、初詣でもしようかと妻が言いました。確かに一緒に東京に行くなんてことは滅多になくて、12月の半ばに一緒にアルバイトに行きましたが、それが久々のデートのようなものでありました。あぁ、何ということか。今こうして書いていても、自分の顔がだんだんと熱くなっていくのが分かるくらいなのですが、私は「住んでるところの神に先に挨拶しないのは、筋違いじゃない?」と言ったのでした。

妻は言いました。

「信心深いんだね。」

穴があったら入りたいような、そんな恥ずかしさを感じたのはいつ以来でしょう。私の矜持は崩れ去りました。言われた通り、私は信心深い男でした。今まで散々馬鹿にしてきた神の奴隷がいました。私でした。

近所の小さな神社に行きました。一人で行きました。妻と私の息災を祈ってきました。

今年も多くの恥をかくことになるとは思いますが、明日も精一杯生きますので笑ってください。

 

追伸:神様。このようなブログがあって、恥をここに捨て置けることに感謝します。